留学体験記
留学体験記3 「震災を通じて感じたこと」
工学部コンピュータメディア工学科2年生 グエン ディン ホァン
将来、母国ベトナムの産業に貢献しようと思い、日本の最新技術と日本人の精神を学ぶという夢を持って2008年4月に来日しました。大学では先生方と友達の暖かい支えの中で数多くのことを勉強しています。また、日本社会に接するためにアルバイトもしています。
もちろん、2011年3月の大震災も体験しました。正直、当時はとても怖かったです。留学生の中には、慌てて帰国する人もいました。自分の命に関わるような恐ろしい体験は、生まれて初めてでした。帰国しようとも考えました。在日本ベトナム大使館をはじめ、友人、それから大学の先生にも相談しました。自分の夢を途中で諦めるというのは、確かにとてもやりたくないことですが、放射線の流出などを耳にすると、非常に心配でした。そのため、大変迷っていました。
しかし、それをきっかけに、新聞、テレビなどの報道を詳しく見るようになりました。日本のマスコミはもちろん、ベトナムとアメリカのも毎日見ていました。海外のマスコミは大げさに伝えている部分が大きかったので、ベトナムにいる両親と友人がとても心配してくれました。しかし、実際には、山梨では普段と同じ生活をみんな送っていました。いちばんびっくりしたのは、スーパーなどでは物価が上がらずにむしろ安くなったものも多かったことです。留学生活で困る事は一切ありませんでした。
放射線量と言えば、東京で一番高かった時でも、他の国の基準値より低かったそうです。福島から東京よりも遠い山梨はもっと安全です。さらに、甲府市・中央市(山梨大学がある市)は盆地と言われ、周りに山に囲まれてさらに安全なところだと知り、安心しました。
あっという間に震災から半年以上が経ちました。あの時の自分の決断が正しかったと今実感しています。慌てて帰ってしまった友達もすぐ戻りました。
「日本は安全だよ。特に甲府市・中央市にある山梨大学は何も心配することなく勉強できるよ」と皆さんに伝えたいです。この震災を通して、色々と勉強になりました。そして日本人の団結力や愛国心にもさらに感動しました。皆さん、是非来て、実感してみてください。心よりお待ちしております。
(2011年11月)
留学体験記2 「大震災と私」
大学院環境社会創生工学専攻2年 李 力
2011年3月の東日本大震災の問題は今でも世間で話題になっています。今回の地震は、2008年の四川大地震を経験した私にとってはあまり怖いものではありませんでした。
しかし、福島の原子発電所の事故は、すごくこわかったです。先生と周りの日本の友人が、放射能についていろいろ説明してくれたので、だんだん気分も落ち着きました。
今は、国の家族も安心していますし、私も毎日大学で自分の研究に励んでいます。これからも、自分の研究に集中していきたいと思います。
(2011年11月)
留学体験記1 「甲府、そして山梨大学に来てよかった!」
ドイツ ドレスデン工科大学より 1年間交換留学 スザンネ・エルベン
甲府に来た最初の日をよく覚えている。狭い道路、寺と神社、知らない顔、顔、顔、そして香りもドイツとは違う。新しい大学生活の中で日本語はほとんどわからないものの、たくさんの新しい感懐や印象が果てしなくあるように思えた。「ここで本当に生きていけるかな…」と心配もしていた。
あの時から、早くももう1年が経とうとしている。初めは特に日本語が問題だった。言葉の壁と文化的な違いがあるため、日本人と触れ合うのは難しいと思っていたが、山梨大学留学生センターで開かれている日本語の集中授業と、昨年設立されたばかりの日本人学生と留学生の交流や関係を支援するNICEという交流会のお陰で、日本語力はかなり速く高まり、他国から来た友達も数多くできた。しかも、1年を通してNICEや留学生センターの先生方が企画するさまざまなイベントもあった。そのイベントで和紙など日本の伝統的な物を作り日本文化を経験したり、桃狩りでは山梨ならではの食べ物を試すことにより、地域に親しむことができたように思う。そんな留学生生活はつまらないわけはなく、楽しく、面白い毎日だった。
それから、病気のときや授業科目の選択のときなど、何か問題があったら、友達の他にチューターや指導教員の先生、そして国際交流室や日本語の先生方が手伝ってくれた。皆さんに心から感謝している。今はもう日本での日常生活にも慣れ、日本語も話せるようになってきて、多くの友達ができた。残念ながらもうすぐ国に帰らなければならないが、今、「甲府、そして山梨大学に来て本当によかった」と心から言える。
(2010年10月)